近況報告などなどなど
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《生曝り》の キ。
まだ相変わらず私にはよくわかりません。
お勉強をしています。
「古代詩歌に現われた精練と漂白」
http://repo.nara-u.ac.jp/modules/xoonips/download.php/AN0000711X-19830300-1002.pdf?file_id=2179…江戸時代に記録が残る「雪晒し」が、万葉の時代にもあったかもしれないなんてドキムネですねえ。
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精錬。絹の表面にあるセリシンを抜くためにアルカリ溶液に浸けるステップがあるとのことですが。
アミノ酸やらなんやら余計なものを抜くために、灰汁を使うことはよくわかったのですが、これ、なんらかの意図をもって、灰汁の代わりに酒(アルコール)を使うことはあったのだろうかと妄想が始まりました。
というのは、
岐佐理の岐の字が表す音は、御酒のキと同じくキ甲類だからです。まっ、無茶な話ですが。
あと、
生(キ)がキ甲類なのかどうかまだ調べきれていません。
素のままの意味での生(キ)だとすると、精錬または漂白した布製品ではあるが、まだ染めてはいない、そのような製品に【生:キ】という言葉を使ったものなのか、というアイデアです。この意味での生(キ)が時代的にどこまで遡れるものやら……
願わくば、でっかい図書館に行って 古語大鑑を引きたいものです。
現代語には「生成り」というコトバがあります。こちらは漂白すらしていない、真の「生」です。「生成り」も、いつの時代まで遡れることやら……
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@Hannibal さん
楽しく読んでいますが、コメントどころか感想を述べる素養がありません(;'∀')。
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@riffraff さん。
面白がって頂けているとのこと、光栄です。
■本日の収穫1
持傾頭者の役割を与えられた鳥は川雁でした。(古事記では河雁)研究者によっては、なぜ川雁なのだろうか? という疑問を立てて、傾頭や岐佐理の意味の解明へのヒントとしようとするむきもあるようです。
私の思い付きでは、簡単なことです。
(白くするために)「布を川で晒す行為」に相応しいと考えられたのが数ある鳥のなかでもまさしく川雁だった、万葉集でも女性が川で晒す作業が歌われているではないか、というものです。(ついでに言えば鳥は女性のメタファかもしれませんね。)■本日の収穫2
接頭語としての生(キ)の用例を、室町時代まで遡れました。「いかなるもろはくきざけも、おそれつべうぞみへにける」〈御伽草子・酒茶論(古典文庫所収)(室町末)〉
きざけ。生酒。現代でいうところのナマザケとは概念がまるで違うようです。ナマザケは火入れをしていないもの。キザケはまじりけのない、ピュアな酒として捉えられているようです。
類例。近現代の「生一本」は政治的な用語ですが、こちらは、原産がはっきりしていて、他の酒と混ぜてないものです。■本日の収穫3
本居「古事記伝」に、傾頭者についての解説として「片行者」が取り上げられています。雲の筏サイトから現代語訳で引用します。
《弘仁私記で、「片行(かたゆく)」とあるのは、もとは中に「向」などの字があったのが落ちたのであって、「片向行(かたむきゆく)」ではないだろうか。そうでもなければ、「片行」の意味が分からない。とにかく、この「片行」に「傾頭」の意味が含まれていそうに思われる。河雁の首は、これに似た仕草をすることがあって、この役を負わせたのだろう。》河雁でなくともそういう首の動かし方はありそうですがそれはさておき。
人名で使われる「行」の字に「ひら」と読ませるものがどうやらあるとのことらしく。
「片行」はカタビラ:帷子のこととなります。こんなところにまでカタビラを示唆するものが転がっているなんて。
残念ながら、行の古い訓にヒラがあるのかどうか捕まえきれていません。少なくとも白川静「字通」に多量に載っている行の訓にはヒラはありませんでした。
しかし人名にヒラと使われているのがもしも正しいとするならば、なんらかの意味があると思われてなりません。 想像するに、長さ・距離を表すヒロとの関わりでも? 裄(ユキ)は?―――
短時間のリサーチでこれだけ出てくるのは尋常ではないような気もしますが…トンデモさんになりたくないので気をつけなくてはいけません。
■あしたの調査予定
・キサリではなくユキサリであったとしたら?
例の、オゾンで脱色する「雪晒し」。・アラレフリ という枕に キシミ が掛かる理由を再構築することで、キ・シミ の造語の意味合いを観る。 これにより雪晒しともあいまって…
※アラレフリを枕にキシミが謡われる理由として、最有力説は、霰が降るとキシキシと音がするのだからだそうで。
いやいやいや。キシキシなんていわないでしょう?
枕アラレフリに被枕ホトホトは実例があって、こちらは完全にオノマトペ。
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平安時代末期、橘忠兼著の三巻本「色葉字類抄」、名字部に、行の訓としてヒラの記載があるのをみつけました。
オンラインデータベースがオープンアクセスできました。
ありがたやありがたや。
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古事記伝で本居がいうところの、『弘仁私記』にみられる 【片行】、私はカタビラと訓むのではないかと推測していました。
『弘仁私記』は平安時代の編纂ですから、平安時代末期の色葉字類抄が示す、行への訓「ヒラ」を念頭においていたことは十分にありえますね。
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岐佐理持(=持傾頭者)のキサリ(キは甲類)。
このキについて生(キ)はどうかと考えもしてキザケなる語が室町時代の資料にあることまでは見いだしたものの、果たして上代にこの接頭語としての生(キ)があったかどうか定かではありません。 このキは甲類のキなので…酒のキか生のキか…などは思い付くのですが、アルコールで漂白する例は見つけられず、生(キ)の甲音か乙音かもはっきりせずです。
今検討中なのは、雪をキと言ったものかと…いくら探しても直接的な証明は難しいですね、アラレフリの被枕のキシミという語の検討もしてはいるのですが。
――
思い余って、牙(キ)かと。晒した牙のようにまで脱色がなされたという意味なのかと。しかれども、そもそも牙(キ)は、キ甲類なのかキ乙類なのか学会的には未確定なのですよね。エビデンスにかけるらしく。たぶん甲類との観測もあるのですが… 後の世に牙のように白いとかいう表現も、まあないだろうということで、牙仮説はかなり難しいです。
――杵はキです。キネともいいますが万葉の時代にはキともいいました。このキは甲類です。
■第101題臼に布を入れて打つ
( http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyakuichidai )
より引用します。《搗き臼と杵は「穀物の脱穀・製粉・精白または餅つきなどに使う」とされているが、他に布を打つという使い方があることは明らかにできたと考える。しかし管見において、考古学、民俗学、民具学等の各事典でこのような使用法に触れているものはなかった。臼と杵にはこのようなもう一つの使い方があることに注意が必要であろう。》
おっ!!
ただし、史料としては戦国時代が上限らしいのですが。
河鴈(かはかり)が川の側で布を晒している、そこでは杵(キ)を用いている… などとイメージ・想像をしてみています。
■「多摩」か「玉」か 六玉川へ - ことばマガジン:朝日新聞デジタル( http://www.asahi.com/special/kotoba/archive2015/moji/2011052300008.html%3Fpage=1.html )
万葉歌を引いて「この歌にあるように、多摩川沿いはかつて布の産地だったと伝えられています。カラムシ(別名・苧麻<ちょま>)という植物の繊維をとったのではないかと推定されていて、織り上がった布を白く柔らかくするために、杵(きね)でつき、川でさらして仕上げたと考えられています。」としていますが…… 杵でついた、というのはどこから?
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万葉集に素晴らしい歌があるのをみつけました。
万葉集 第16巻 3791番歌
( https://manyoshu-japan.com/9787/ )長い歌ですが素敵ですのでリンク先にて御観賞頂くことといたしまして。 すこしばかり引用いたします。
――
打麻やし 麻績の子ら あり衣の 財の子らが 打ちし栲 延へて織る布 日さらしの 麻 手作りを
――《打麻やし:うちそやし》は 《麻績》に掛かる枕詞です。
麻だけでなく栲も打つことになっています。その上に日で晒すことまでも歌われています。
――
阿波の忌部氏にちなむ史蹟として、かつては、
麻植郡は向麻山の麓に麻搗石(をつきいし)・麻晒石(をさらしいし)があったとのことです。打つ、搗く…これらの作業に杵(キ)が使われていたであろうことは十分にありえるのではなかろうかと思われます。
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岐佐理持の担い手は川雁であるというのが一般的な記述ですが、書紀で《一に云う》として、鶏(カケ)を記しています。
何故、鶏(カケ)という言い伝えが日本書紀に《一に云う》として採録されたのか、疑問ですけれども、これはひょっとすると、岐佐理が麻ではなく栲(タク)であったからではないかと推理してみています。
枕詞《たくひれ(栲領巾・細領巾)の」》が、カケに掛かるからです。
ヒレは上古からある布製の呪具ですが…今追求しようとしている岐佐理=カタヒラ?と通じるところがあります。領巾:ヒレは、肩:カタに掛けるものです。たくひれの
かけまく欲しき
妹の名を
〈万 285番歌〉上記は枕のタクヒレがカケを被枕にしているものと見えます。
タクヒレは白にもかかりますから、岐佐理が白い布なのではないかという仮説に有利です。
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その後、脱線に脱線を続けていたら。
引用始め
剣と刀の特徴を合わせた刀剣があった!?
古代日本の武器は両刃の剣が中心で、のちに片刃の刀へと切り替わっていったことは先にご紹介しました。ところが、その過渡期には、両方の特徴を持つ武器も生まれています。
剣と刀、両者の利点を併せ持っていたのは、どのような刀剣だったのでしょうか。
剣太刀(つるぎたち)
刀身の途中までが片刃で、先端に向かうと両刃になるというユニークな構造を持つ刀剣は「剣太刀」と呼ばれ、古墳時代の鉄刀や「正倉院」(しょうそういん)御物(ぎょぶつ:絵画や刀剣など、皇室の所有品)の「蕨手刀」(わらびてとう)などがその様式で作られています。
引用終わり
引用は 【刀剣ワールド】剣とは|刀剣の基礎知識 ( https://www.touken-world.jp/tips/49657/ ) より。
★★★ こ・れ・だ ★★★
脱線は楽しいっ。
吉野国主歌。
又吉野之国主等、瞻大雀命之所佩御刀歌曰、
本牟多能比能美古意富佐邪岐意富佐邪岐波加勢流多知母登都流芸須恵布由布由紀能須加良賀志多紀能佐夜佐夜―――
意富佐邪岐 波加勢流
多知母登都流芸須恵
布由―――
多知母登都流芸須恵
大刀本 剣末
一本の剣刀。
もとの方は大刀(タチ)で
すゑの方は剣(ツルギ)になっている。―――
刀身の途中までが片刃(タチ)で、先端に向かうと両刃(ツルギ)になるというユニークな構造を持つ刀剣(ツルギタチ)
そしてこの様式の剣刀が古墳時代に非常によく出る様式。
古墳時代って
吉野国主歌が歌う応神・仁徳の時代。★★★ 歌と考古学の一致。★★★
※ツルギタチが日継ぎの皇子の枕になっている理由はわからないままだが
※この歌が 応神から仁徳への日継ぎを 誉める仕掛けとして ツルギタチ を用いていることは間違いがない、と確信するに至りました。
ミタマのフユをレガリアに添えて。
私の以前の解釈よりもずっと綺麗になりました。\(^-^)/
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近況報告などなどなどで @Hannibal さんが発言 :
剣太刀
昔読んだ論文を思い出しました
https://ja.wikipedia.org/wiki/アレキサンダー・ボビン
「神聖の剣と魔法の領布 : 言語学と歴史学の接点」
https://nichibun.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=16&lang=japanese&creator=ヴォヴィン+アレキサンダー&page_id=41&block_id=63
で他の論文とともにアクセスできます。<個人的意見>かなーりあやしいがとても面白い!(^^)!
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@riffraff さん
ご案内を有り難うございます。ヽ(^○^)ノ
おー ヴォヴィンさんですねっ
昔、ツイッターで言語クラスタの人から名前だけは聞いたことがあります。日本語の祖語について話し合われているのを脇で聞いていたときだったかと思います。
…でっかい PDF ですね、ゆっくり読んでいきたいと思います。
有り難うございました。
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こういう英文は私の理解の外にあります。
"Van Gogh than generally liked the Lassen."
ネイティブな人にこれで通じるものなのでしょうか。
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本牟多能比能美古意富佐邪岐意富佐邪岐波加勢流多知母登都流芸須恵布由布由紀能須加良賀志多紀能佐夜佐夜
「布由紀」の部分の解釈は、大概、冬木となっているようです。
今日は、しまったなあと思いました。
吉野ですからね、場所は。
常緑樹に決まっていますよね、冬でも緑の葉がわさわさしている。
ですから
布由紀能須加良賀
で、冬木の素幹(スカラ)と見るのはよろしくないのですね。上代の信仰を考えると常緑樹はとても尊ばれています。コトホグ際には便利です。
葉が落ちた落葉樹として冬の木を捉えたらいけない。
あー。(・o・)。
もっと早く気がつかなくてはいけませんねえ。
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近況報告などなどなどで @Hannibal さんが発言 :
Van Gogh than generally liked the Lassen.
colloquialで可能な(存在する)表現か否かはわかりませんが、比較の対象の照応が破れている事’
’Van Gogh-the Lassen、過去分詞句であるとするならばピリオドがある事などから、標準文法的には破格だと思います。
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@Hannibal さん
下記のURLの場所が有名ですが、吉野には常緑樹の森林中に落葉樹が密生している地形が随所に見られます。
https://wakutabi.net/trip/kinki/nara/namegodani/main.php
西日本の山地によくみられる風景です。
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@riffraff さん
例の英文が相当に可笑しいのではないかとの私の感覚にお墨付きを頂きましてホッとしております。
ご教示を有り難うございます。
――
もうひとつ御礼を申し上げます。
くだんの吉野での歌なのですが、昨夜、この歌に【紅葉樹】【も】謳われていることをみつけまして…早速にご報告しなければと思ったところ、riffraffさんからの紅葉樹関連のポインターのご教示を読みまして、感激しているところです。
現在の私の見解では以下のような標語が成り立つものと考えています。
従来説の〈冬木〉はそのままに、ただし常緑樹と解釈変更し、
従来説の〈下木〉については、あえて奇抜な表記に差し替えますが〈舌木:落葉樹〉と解釈すべきと。〈舌〉:変でしょう?(苦笑)
万葉集の原文に〈舌日〉とあるのを昨夜みつけたのでした。広葉樹を歌い込んでいる歌なのですけれども。この〈日〉も大事でして。
〈下照媛〉も関連して大事です。
おっと、訪問リハビリテーションのスタッフがやってくる時刻が近づいてきました。
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また脱線してしまいました。
〈日下〉と書いて【くさか】と訓む。
これは我が国では昔から謎でして
色々な説をみてきてはいたのですが私にはいまひとつ納得できてはいないのでした。 私がバカだからだけなのかもしれないのですけれど。
研究史の概要が載っていそうなブログがあります。
●ご参考
古事記・日本書紀・万葉集を読む
上代におけるヤマトコトバの研究論文集 加藤良平
「日下」=「くさか」論
2017年06月04日
( https://blog.goo.ne.jp/katodesuryoheidesu/e/d7049319f683d402049b9a00a788b7f1 )――
ちょっと違和感があるのが
〈日下〉の〈下〉を【カ】と訓むとする説が多いことです。
古事記編纂の時点で〈日下〉と書いて【クサカ】と訓むことがなかば普及化していたらしいことを考えますと、はたして〈下〉は【カ】なのかどうか……というのは下記の事情があるからです。
下は…
呉音 : ゲ
漢音 : カ漢音は、〈7, 8世紀、奈良時代後期から平安時代の初めごろまでに、遣隋使・遣唐使や留学僧などにより伝えられた音〉なのですね。
時代が合いません……たぶん……
――
そんなわけで深い謎なのですけれども。
私の本日の思い付きは。
〈日〉、これを 【クシ】と訓む。
〈下〉、これを 【アカ】と訓む。
〈日下〉は【クサカ】と訓む。
…という具合です。
――
後者の
《〈下〉、これを 【アカ】と訓む。》
については、
吉野の歌の〈下木〉が紅葉樹であるに違いないと昨夜気がついたことと関連しています。……たぶん……――
〈日〉、これを 【クシ】と訓む。
こちらについてはですね。
元々私は、紀記における神とも人ともつかない面々に「〜日子」「〜日女」という名が、特に太陽神信仰とは無関係なキャラクターにまでつけられている事態が頻発していることに不審を抱いていました。
〈日〉は借訓とでもいうべきものなのではないかと考えていました。
では本当のところ、ヒコないしヒメの【ヒ】の正体は何か?
〈霊〉と書いて【ヒ】と訓む。こちらは少数ながら存在し、言わば正訓とも考えられます。漢語の霊の概念とは多少なりとも違うでしょうが、ヤマトコトバとしての【ヒ】に最も相応しい漢字は〈霊〉なのだとの、上代の人々の感覚があったように思われます。
いちいち〈霊〉と記すのは面倒なので〈日〉で代用していた可能性が高いと私はみています。いっぽう、ヤマトコトバで【クシ】に対応する漢字には、〈奇〉または〈霊〉が考えられていました。
たとえば【くし・ぶ】という語(動詞)に〈霊ぶ〉や〈奇ぶ〉という表記が与えられています。
〈ぶ〉は接尾語ではあります。すなわち、【クシ】には、〈奇〉〈霊〉という対応も考えられてはいました。別途、借訓で〈櫛〉が多用されてもいますが。さて、【クサカ】の〈日〉ですが。
これは〈霊〉と記す代用に〈日〉と記す根強い習慣から来ているものと思います。
〈日下〉は本来は〈霊下〉とでも書かれるべきはずであったと。
〈霊下〉は【クシ+アカ】であれば、【クサカ】の表記としては十分であるように思われます。※〈下〉を、古事記編纂当時には【ゲ】と読む蓋然性が高く、このままでは〈日下〉は【クサゲ】になってしまいます。
あとは、〈下〉と書いて【アカ】と訓む、そんなことが本当にあったのか!? と……
もう眠いのでここまでとします。
下照姫の別名がアカルヒメであることもヒントになりそうですけれども、さてはて?
そして吉野の国晒たちの歌にある【シタキ】の解明にも絡んでくることとなります。
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おおおっ!!
【シタ】というヤマトコトバがあって、意味としては《輝、明、光、朱、赤》をもっていた…との奇妙な考えを、この数日、膨らませてきました。
こんな変な考えをするのは私くらいと思いましたが、結構ある意見なのかも……!?
――
●御参考
下照比売命:玄松子の祭神記
( https://genbu.net/saijin/sitateru.htm )引用始め
下照の名義は、下=赤として赤く輝くとも、下方を照らすとも考えられる。
引用終わりヽ(^○^)ノ
┐('〜`;)┌
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@Hannibal さん
まったくの思い付きですが、満天星など真っ赤に紅葉する低灌木は、混合林の景観では、”下木”です。
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riffraff さん。
ご教示を有り難うございます。これをヒントに勉強材料をちょっと探し回りました。
意外と…植生の史学は見当たらないのですね、ましてや吉野の古代の植生はどうだったのか… 桜があったかどうかさえよくわかりません。
事前の作ですが、万葉でどんな樹木が歌われていたか、あるいは、吉野がどのように歌われていたのか、軽く学んでみたいと思っています。
https://art-tags.net/manyo/flower/home.html
https://art-tags.net/manyo/map/yoshino.html
強烈強烈強烈強烈ー