謎解き!『古事記』中巻歌謡48



  • 『古事記』中巻に歌謡48があります。

    原文
    本牟多能 比能美古
    意富佐邪岐 意富佐邪岐
    波加勢流多知
    母登都流藝 須惠布由
    布由紀能 須加良賀
    志多紀能 佐夜佐夜

    ※上記原文の区切りは多数説によります

    ひらがな

    ほむたの2ひ1の2み1こ1
    おほさざき1おほさざき1
    はかせるたち
    も2と2つるき1すゑふゆ

    ふゆき2の2すがらか
    したき2の2さやさや

    ※ひらがなに1または2がついているものは上代特殊仮名遣によるものです。1が甲類、2が乙類です。

    この歌は難解でしてガッチリとした定説はないようです。

    チャレンジするのもまた楽しかずや



  • ステータス

    ・20181130 スレッドを建てました。(コメントID=3366)



  • @Hannibal さん
    有難うございました
    時間はかかると思いますが色々と考えてみます。
    考える材料となる資料は冬ごもり予定地の書庫にありますので。質問は早くて12月10日くらいかと(;'∀')



  • @riffraff さん
    (o^ O^)シ彡☆

    宜しくお願い致しますぺこり
    (^.^)(-.-)(__)



  • そもそもこの歌謡に私が興味を持った理由をごくごく簡単にお話します。

    そろそろ中年に差し掛かった理系小僧がある日のこと出張の新幹線での車中の暇潰しにとKIOSKで読み物を買おうとしたところ、ヤマタイ国の卑弥呼についてのトンデモ本をうっかりと買ったことがスタートなのです。げらげら笑いながら読みました。読みましたが、その後、同著者の古代史シリーズ本は全部買い、しかも時代遅れのノストラダムス本まで買って、もうね、アホかと……との楽しい暇潰しに邁進したのです。

    そうこうしているうちに、私はいつのまにか邪馬台国小僧になっていたのでした。

    トンデモ本で古代史通史を学んだわけですが、それを駆逐するためにもと、紀伊国屋書店やJUNK堂書店で学会の研究者たちがものした(高い)書籍を片端から立ち読みし(ごめんなさい)古代史にはまったわけです。

    日本書紀や古事記に記載されている紀年はほぼ出鱈目ですから、再構しなければなりませんし、それが叶わないようでしたならば邪馬台国がどこにあったのかという謎についてもよくわからないことに気がつきました。

    そこで例えば隅田八幡神社人物画像鏡銘や、古事記中巻歌謡48など、解釈が定まっていない謎解きにチャレンジし、いつどこでだれが何をしたかについての基準を求めることに興味が湧いてきたのです。上にあげた二つの謎は海外史料にも関連があるかもしれず、海外での史料での《いつ》と比較することで、日本書紀や古事記に書いてある紀年についての真実に一定の枠組み・条件を果すことができるという個人的かつささやかな楽しみとなったということになります。要するに素人のミーハーです。

    遠回りですが、邪馬台国が九州にあったか畿内にあったかのデータにも結び付きます。

    必要とあらば上代の表記史や、上代言語の風変わりな性質についてもガリガリと摘まみ食いをしてさえいます。

    思えば理系小僧が遠くまで来たものです。



  • 今回、この歌謡についてある程度確信を持つに至ったのですけれども…… 今までも何回もコレゾファイナルアンサーとしてきた考えを捨て続けて来たわけでして……
    明日になったら自説の重大な欠点に気がつくかもしれません。そうしたらばまたもや自説を捨てて涙することになります。

    そうならないことを願いつつ。

    ところで実は、11月25日日曜日に母が車にハネラレ、硬膜下出血と骨盤骨折による出血状態になりました。
    ICUに運ばれ危篤でした。
    リスクが高すぎて頭も骨盤にも手術摘要がなく。
    ご安心ください、昨日11月30日金曜日にICUから一般病棟に移りまして、さきほども病院食をモリモリと食べております。

    早期からのリハビリテーションが必須ということでして、骨盤がおれたまま、月曜から痛みに耐えながらの訓練となります。

    野蛮だけど一番予後が良さそうな道を親子で頑張ります。医師からも息子さんの付き添いでリハビリにモチベーションがつくからと言われております。

    このスレッドに私が投稿するのは、おそらくは、暇な日の夜間になります。

    よろしくお願いいたします。



  • @Hannibal さん
    承りました。くれぐれもご無理をなさらないよう。
    こちらは恒例の渡り鳥。来週半ばゆっくりと冬営地に向かいます。


  • Global Moderator

    回復祈願

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    題「ヤマネおじさん」



  • 回復祈願

    0_1543817587338_孫たちの応援@@@@.jpg

    題「孫たちの応援」
       ソムさん 切り貼りをお許しください m(__)m



  • 皆様、応援を有難うございます。
    (^ω^)
    皆様、応援を有難うございます。



  • 今日は最初の突破口について書きます。

    【志多紀】が突破口となりました。

    権威ある「精選版日本国語大辞典」による解説をみてみます。

    引用開始
    した‐き【下木】

    ① 林の下などに生えている背の低い木。
    ※古事記(712)中・歌謡「品陀(ほむた)の 日の御子 大雀(おほさざき) 大雀 佩かせる太刀 本つるき 末振(ふ)ゆ 冬木の 素幹(すから)が 志多紀(シタキ)の さやさや」
    引用終了

    私には〈志多紀〉が《下木》とはどうしても思えませんでしたので、いつも気になっておりました。

    そんなおり、下記の記述が偶然に目に止まりました。

    日本書紀歌謡108「向つ峰に
    立てる夫らが
    柔手こそ
    我が手を取らめ
    誰が裂き手(・我佐基泥)
    裂き手そもや(佐基泥曾母野)
    我が手取らすもや」

    《裂け手》を〈佐基泥〉と書いています。手がササクレだっている、ひび割れているというニュアンスです。〈基〉は乙類のキであることがテーマです。

    上代特殊仮名遣を踏まえながら細かく言うと、四段活用の他動詞〈割く〉の連用形でのサキでは、キは甲類になりますが、〈佐基泥〉の〈基〉は乙類ですから、〈佐基泥〉の〈佐基〉は他動詞〈裂く〉の連用形ではありません。では何か。下二段自動詞〈裂け〉の連用形では、キ乙類ではなく、ケ乙類なので、これでは(ストレートには)不味いことになります。他動詞〈裂く〉又自動詞〈裂け〉の、どちらでもないことになります。

    解決方法がひとつあります。エ段乙類はイ段乙類で書かれることもあった、と考えることです。

    似た事情を抱えているであろう例があります。

    古事記歌謡1
    「八雲立つ
    出雲八重垣
    妻籠み(都麻碁微爾)に
    八重垣作る
    その八重垣を」

    マ行下二段活用の他動詞「籠む」の連用形はメ乙類のはずですが、ミ乙類の微を使っています。(自動詞「籠む」の連用形ではミ甲類です。甲類と乙類とを間違えてしまうことはまずありませんし、文脈上では、妻を籠むわけですから他動詞のはずです)

    これに勇気を貰えば、

    〈志多紀〉は、
    シタケ2
    つまり、ケ乙類が標準なのにキ乙類で表記されている可能性の道が開けることになります。

    《下木》の呪縛から離れてこの歌謡の再度の検討を試みる価値はありそうと考えました。

    いろいろと試行錯誤した結果、私は現代方言にある《シタケ》に辿り着きました。

    シタケとは、概ね、春から夏にかけて吹く東ないし南の風のことです。群馬と茨城と神奈川とにシタケないしはその変形が分布していることがわかりました。他の地方ではどうなのか調べはついていません。地域ごとに味付けが微妙にことなるようです。季節風ですが風向きや季節が微妙にずれます。
    何はともあれ、【冬ではない】ところに興味が引かれます。

    布由紀能 須加良賀
    志多紀能 佐夜佐夜

    冬樹の須加良賀
    シタケのさやさや

    もうちょっと調べてみましょう。

    シタケの語源を推理してみます。

    関連しそうな論文があります。

    「上代文学に表された「死」のとらえ方についての考察」加藤明;
    東京女子体育大学・東京女子体育短期大学紀要 第45号 2010年

    https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20181129220657.pdf

    論文から学べば豊富な事例からみるに、〈シ〉は《風》であり《息》であり、抽象的には【生命の息吹/流れ】というコアイメージがあると推理できます。

    こうした考えを深めたのちに本歌謡の他の部分とも併せて調べわかってきましたが、
    志多紀能 佐夜佐夜
    の〈志〉は《風》でもあり《生命の横溢》でもあるのです。

    話を戻してシタケの語源にもどります。

    タケは、カ行下二段活用の自動詞〈たく【長く・闌く】〉の連用形です。

    〈風〉につくのですから、《強くなる》という意味でしょう。

    そもそもシタケは、季節風です。季節風には地域や時期に基づいた生活感あふれる名前がつくことが多いですが概ねその風が強勢であるときの特徴が名に込められているケースが多いです。

    もっともシンプルではありますが、風長け(シタケ)もそうした風の名の一種でしょう。

    本歌謡では、表面的には、冬と対位した春の風として歌われているに違いない、歌謡なのだから……と考え付いたわけです。

    以上が最初の突破口です。

    第二の突破口が現れて、最初の突破口に更に重層的な意味を与えることになるのですけれども…その話はいづれまた。


  • Global Moderator

    @Hannibal さん

    さやさやするものは何か? 「志多紀=季節風」説ですね。
    冬木と来て下木と来る場合のイメージは、比較的大きな木があって、その根元に小さな木があるということでしょうか。例えば堂々とした日御子とその元でさやさやする人民ということなのでしょうか。
    季節風と解釈した場合には、もっと大きな一年のめぐりを背景にした対比のイメージが出てきそうです。

    繰り返しの「おほさざき」とは何でしょうか?



  • @Hannibal さん
    余談です
    古事記の「地の文で品陀」:「歌で本牟多」、「地の文で大雀」:「歌で意富佐邪岐」
    使い分けは理解しているつもりですが、本当に同じ人物を指しているのかつい疑問が湧いてきます。
    脱線ですが、初期仏典(プラークリット)では散文と韻文の成立時期の前後、対応の在り方が往々にして論争となります。素人考えですが、古事記にも時に同様の問題が有るのではないかと考える時があります。



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