「悪霊にさいなまれる世界」


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    天文学者のカール・セーガンによる科学啓蒙書です。

    Cover Cover2

    副題は、
    「知の闇を照らす灯」としての科学
    です。ハヤカワ・ノンフィクション文庫356(上)357(下)

    原題は、
    The Deamon-Haunted World
    Science as a Candle in the Dark
    by Carl Sagan 1995
    です。

    例によって、これから読むのですが、読みながらご紹介できればと思います。


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    目次の紹介です:

    • 第一章 一番貴重なもの
    • 第二章 科学と希望
    • 第三章 月の男と火星の顔
    • 第四章 異星人
    • 第五章 欺瞞と秘密主義
    • 第六章 幻覚
    • 第七章 悪霊に憑かれた世界
    • 第八章 真の光景と偽の光景の区別について
    • 第九章 セラピー
    • 第十章 ガレージの竜
    • 第十一章 悩みの都市
    • 第十二章 ”トンデモ話”を見破る技術
    • 第十三章 「事実」という仮面
    • 第十四章 反科学
    • 第十五章 ニュートンの眠り
    • 第十六章 科学者が罪を知るとき
    • 第十七章 懐疑する精神と、驚嘆する感性との結婚
    • 第十八章 風はほこりをたてる
    • 第十九章 くだらない質問というものはない
    • 第二十章 火に包まれた家
    • 第二十一章 自由への道
    • 第二十二章 意味の虜
    • 第二十三章 マックスウェルと科学オタク
    • 第二十四章 科学と魔女魔術
    • 第二十五章 真の愛国者は問いを発する

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    第二章まで読了しました。著者の科学に対する見方にはいくつかのキーワードがありそうです。


    科学の性質について著者の考え:

    懐疑する精神と、不思議さに驚嘆する心

    「はじめに」より

    おそらく科学とニセ科学のいちばんはっきりした違いは、科学のほうがニセ科学よりも、人間の不完全さや誤りやすさをずっとよく認識している点だろう。

    第一章「一番貴重なもの」より

    科学が成功したもう一つの理由は、その核心部にエラー修正機能が組み込まれていることだ。

    第二章「科学と希望」より


    科学の不完全さについて:

    たしかに科学者は、神秘的な啓示を否定するかもしれないが、それは、啓示を受けたという本人の申し立て以外には、何の証拠もないからにすぎない。だからといって科学者は、自然界についての自分たちの知識が完璧だなどとは思ってはいないのである。

    第二章「科学と希望」より


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    第十二章(上巻)まで読了しました。著者は、バランスのとれた懐疑のあり方を語っているようです。ここまでの具体的な話題としては、(当時米国で流行りの)宇宙人によるアブダクションが中心でした。著者は毎年大勢の人がUFOに連れ去れていることは信じていませんが、かといって、そのような証言を多くの人がしていることが無意味だとは考えていません。逸話には、それが真剣に語られたとしても証明力がないと考え居ますが、多くの人々が、夢ともつかない現象を体験していることには、何らかの人間の性質や限界が現われている可能性があり、面白い問題なのではと考えています。懐疑的な思考のコツ(「トンデモ話検出キット」)についても語っています。


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    第十二章に出てくる、「トンデモ話検出キット」は、著者曰く懐疑的な思考をするための道具のセットです。

    懐疑的思考とは、筋の通った議論を組み立てたり、それを理解したりするための手段である。わけても重要なのは、人を惑わすごまかしを見破ることだ。大切なのは、推論によって引き出された結論が気に入るかどうかではなく、その結論が、前提ないし出発点からきちんと導かれたものかどうか、そしてその前提が正しいかどうかなのである。
    同書p.381より(カール・セーガン著、青木薫訳)

    このように本書のキーワードである「懐疑的思考」が説明されています。 道具には以下のようなものがあるそうです:

    • 裏づけを取れ
    • 議論のまな板にのせろ
    • 権威主義に陥るな
    • 仮説は複数立てろ
    • 身びいきするな
    • 定量化しろ
    • 弱点を叩きだせ
    • オッカムのかみそり

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    本書では、「懐疑する精神と、不思議さに驚嘆する心」の危ういバランスの上に成り立つ科学のあり方について、様々な方向から語られています。

    何ごとにも心を開くことは、たしかに一つの美徳である。ただし、宇宙工学者ジェイムズ・オーバーグがかつて語ったように、あくまでも「脳ミソが転げ落ちない程度に」開いておくことだ。もちろん、新たな証拠が出た暁には、頭を切り替える覚悟はしておかなくてはならない。だが、その証拠は強力なものに限る。こと知識に関する限り、どんな主張も同じだけの重みをもつというわけにはいかないのだ。
    同書p.342より

    「証拠」はそのバランスのための必須の要素です。

    これだけ重要な問題ともなれば、逸話風の主張にたいした重みはない。どれほど真剣に、どれほどの感動をもって語られようと、そして、語り手の市民生活がどれほど立派であろうとも、逸話はあくまでも逸話でしかないのである。以前よくあったUFO話と同様、逸話風の主張にはどうしても誤りが忍び込む。
    同書p.330より

    そして「検証」の可能性は、「証拠」を成立させるための要件です。

    さて、目に見えず、物質でできておらず、宙に浮いた、熱くない炎を吐く竜がいるというのと、そもそも竜がいないのとは、いったいどこがちがうのだろうか? 私の主張を論破するすべがなく、反証を挙げるような実験を考えつかないなら、竜は存在するという主張にはどんな意味があるのだろうか?
    (中略)
    検証できない主張、証明しようのない主張は、たとえそれがどんなにわれわれの心を躍らせ、不思議を思う気持ちをかきたてたとしても、真実としての価値はないのである。
    同書p.312より 第十章「ガレージの竜」


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    第十三章に入りました。なぜ懐疑的な思考を保つことが重要なのかについて関係ありそうです。

    長いだいだだまされ続けていると、インチキだという証拠があってもそれを認めようとしなくなる―これは悲しむべき歴史の教訓である。人は真実を見い出すことに興味を失い、インチキにからめとられるのだ。
    同書(下巻)p.12より

    懐疑的に物事を吟味するという態度は、あくどい商売や、”トンデモ話”を根絶やしにするためには欠かせない道具であると言える。こういう商売の犠牲になるのは、いつも決まって弱い立場の人たち(自分を守る力が弱く、思いやりを必要とし、希望がもてないでいる人たち)だ。
    同書(下巻)p.13より

    このような事態に気づき抜け出すためでしょうか。


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    第十四章「反科学」では、ニセ科学でなく、積極的な科学への反対思想について取り上げています。著者は、科学側に立ちディフェンスを行います。著者はまず科学の限界を認めます。科学者も偏見に囚われたり、間違いを犯すことを述べた上で、他のやり方にはない特長もあることを主張します。

    科学には、ほかの多くの企てとはちがう面がある。もちろん、科学者だって周囲の文化に影響を受けるし、ときにはまちがいを犯す。それに関しては、人間のやることならどれも同じことである。科学がそれ以外のものとちがうのは、まず第一に、検証可能な仮説を立てようとひたむきに努力するところだ。第二に、アイディアを確認あるいは否定する決定的実験を見つけだそうとすること。第三に、中身のある議論をしようという活力。そして第四に、不満のあるアイディアは喜んで捨てようとする態度である。
    同書(下)p.92より

    著者の言うことからすると、アイディアを確認するための実験を行おうとしなかったり、中身のない議論を続けたり、誤りを認めようとしない態度は、科学の美点を損なうやり方ということになるのでしょう。


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    読了です(イキナリ)。最後の23,24,25章は、特にこれらを読むだけでもこの本の読む価値のある、よくまとまった章だと思いました。

    23章では、基礎科学の価値をマクスウェルの生涯を題材に、24章では、社会が懐疑を失うとどのような暗いものになってしまうのかヨーロッパの魔女狩りを題材に、25章では、過ちを軌道修正する仕組みを社会に組み込むことが、いかに未来への灯火となることについて、アメリカ合衆国建国を題材に書いています。夫人であるところのアン・ドルーヤン氏との共著の章がいくつかあり、他の章に較べると、視点が広がりを持ち優れているように感じました。

    間の個別の章については、また後日紹介したいです。


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    第十八章「風はほこりをたてる」は、これだけで大きな問いと広がりを持つ内容です。

    その問いとは、科学はなぜ難しいのか?というものです。ある論者の見解が紹介されます。それは、科学が本質的に人間の進化の本流から外れた行為であり、あるとき、たまたま(ギリシャ)で文化的・地理的・宗教的・政治的条件が揃ったので発達したに過ぎないというものです。著者は部分的にはこの見解に同意しています:

    実際、この世界を存在させて秩序を与えているのは、神々ではなく、自然の法則や力だということを体系的に論じたのは、古代ギリシャの植民地であったイオニアの人々が最初のようである。

    しかし、これは古代ギリシャに限ったことではないのではと続けます:

    もしかすると、この世界を物質とエネルギーという観点から説明しようとした英雄は、さまざまな文化に何度も現われたのかもしれないが、因習的な智恵を担った神官や哲学者たちに抹消されてしまったのではないだろうか。ちょうどイオニアの人々の方法が、プラトンとアリストテレス以降はほぼ完全に失われたように。こうした試みは、多くの文化で生まれながら、根づくことはめったになかっただけなのかもしれない。

    著者は、また、古代ギリシャの考えは実験に依る部分も少なく、間違いも多かったことを指摘します。

    このように、科学が育つためには、迷信から解き放たれるだけでは十分ではない。それに加えて、自然を尋問にかけ、実験を行うというアイディアが生まれなくてはならないのだ。

    澪標さんのブログ最新記事でも、古代ギリシャ以外に、科学革命と類似した条件が整った歴史的な場所がいくつか挙げられています:
    イスラーム哲学を巡って⑥ 先行種
    https://blog.goo.ne.jp/diggersandranters/e/6317f76c3f3861ef521bda44975bc3a0

    最終的に著者は、科学的な思考は、人間の歴史に長くうめこまれたものであるという見解を取ります。そのための根拠として挙げられているのが狩猟採集民の研究です(クン族)。彼らが動物の足跡の観察から如何に正確な答を予測していたかを挙げます。そして「客観的思考」と呼べる多くの性質が狩猟採集民のなかに見いだせると論じます。

    著者は、そのように存在する性向を妨げてはならないと主張します:

    [前略] このいずれの説もまちがっていると私は思う。現に、私の出会った小学一年生たちは科学に夢中になってくれたし、狩猟採集民の生き残りの人々も貴重な教訓を与えてくれている。こうした例が雄弁に物語っているように、科学への性向はわれわれの中に深く埋め込まれているのだ。それは、いつの時代、どこの場所、どの文化でも変わらないものなのである。科学は、人が生き延びるための手段であり、われわれが生まれながらにもつ権利なのだ。無関心や不注意や無能や、懐疑主義への不安から、子どもだちを科学から遠ざけるとき、われわれは子どもたちの手から、将来生きるために必要な道具を取り上げているのである。


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    先頭記事が更新されました。


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