@riffraff さん
記録が残らないのはとても辛いことですね。
貴族階級が没落するに至っては伝統が失われるのも致し方がないのかもしれません。
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@ソム さん
問題の「□弟王」の「□」について先生たち:先学諸氏は、以下を提案しています。
「男」「乎」「孚」「季」「予」
実際のところでは、「男」は、鏡が出土してのちにまだクリーニングしていない頃の観察でして。
その後に「乎」「孚」「季」「予」が提案されていることになります。
「孚」は、山尾幸久先生が提案したものです。借音表記のために採用されたものであるとお考えのようです。 継体天皇の父系血統の人物名を表そうとしたとの判断をなさっておいでです。
「季」は沖森卓也先生が提案したものです。私が調べたら限りでは説明がなかったので理由はわかりません。
「予」は、石和田秀幸先生が提案したものです。
論文〈上代表記史より見た隅田八幡神社人物画像鏡銘 : 「男弟王」と「斯麻」は誰か〉で詳しく解析しておいでです。PDFにてオープンアクセスですので気軽に参照可能です。同志社大学リポジトリ。
「□」は、「子」の上に「夕」ないし「口」が乗っかっている字で、いずれにしても「予」の異体字であろうとの結論です。
私は以下のように観察しました。
ケース1
「将」の異体字に次の画像のようなものがあります。
http://glyphwiki.org/glyph/gt-71040.png
すなわち「将」の旁の下部の「寸」の替わりに「子」となっている字体です。
そしてこの置き換えを行った字の旁は、山尾先生による「孚」の字にもよく似ています。
「将」の異体字の省画した字が、この鏡に刻まれた可能性があるのではないかと。
ケース2
石和田先生は当該の□の字を、「子」の上に「夕」ないし「口」が乗っかっている字であると観察しました。実際、「夕」と「口」とが入れ違う異体字の例はかなりあるとのことです。
ところで私は次のような、将の異体字に注目してみました。
http://glyphwiki.org/glyph/u5c06-ue0103.png
「将」の旁の上部が「夕」となっているものです。
この字の旁は、「寸」の上に「夕」が乗っかっているものとなります。あるいは、「寸」の上に「口」でもよいでしょう。決定しかねます。
このケースからも当該の□弟王の□は、将の異体字の省文でなかったかと推察可能です。
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こうみえて結構まじめに推理しているつもりです。(^O^)